「天皇の存在」太田誠一氏コラムより

(2015年12月)

 

 

国民を想い身を削って捧げる祈り

天皇は世界でも稀有な元首です

あらためて天皇という存在を意識すべき時代です

 

 

内奏の思い出

 

 

 

私事で恐縮ですが、この秋に天皇陛下より旭日大綬章を親授されました。今まで人の叙勲に関わってきていたので、大体の予測はついていました。内心、そろそろかなと思っていた叙勲の数ヵ月前に内閣府の賞勲局から連絡が入ってきて「大綬章が親授される見通しです。ところで確認したいのは、まだ選挙に出られますか?」ということでした。実際には、十月二十七日の閣議で正式に決定します。親しい議員の中に叙勲を辞退した人がいます。理由は、一人は祝賀会などを開いてもらって、また頭を下げなければならないから面倒くさいということでした。もう一人は恐らく選挙に出ないけれども、まだ現役のつもりで活動しているのにそれがやりにくくなるということらしいのです。行政などから表彰されるのを辞退するのは構いませんが、天皇陛下からいただくものを辞退することなど、とんでもない失礼な話です。叙勲を辞退するなど日本国民として許されません。

予想はしていたものの、あらためて私が叙勲できたことを振り返ってみました。十一回の選挙戦で八回の当選、大臣を二回経験させていただいたのは、偏に支援者の方々のお蔭に他なりません。こうした支援者の方々の努力に比べて私は何もしなかったに等しいのです。たまに好き勝手なことを発言してマスコミからバッシングされても変わらず応援していただいたのですから、私が叙勲を受けるのではありません。感謝というよりも、本来はこの支援者の方々が叙勲を受けるべきだと申し訳なく思いました。陛下から親授される時、そうした支援者の方々を代表した気持ちで臨みました。

大臣時代に四回、直接陛下とお話しする機会をいただきました。一回目は行政改革担当大臣の時、宮内庁から陛下に内奏の要請が来ました。こちらはご進講役の心積もりで皇居に参内しました。行革担当大臣時代に二回ご進講させていただきましたが、在任中に一回も内奏されない閣僚が多い中これは稀なことでした。当然、事前に宮内庁から内奏の中身を口外しないように厳しく言い渡されました。最初に驚いたのは、陛下と私の二人だけでお話したことでした。誰か随伴者がいるかと思っていたのですが、普通の広さの応接室に陛下と二人きりです。正直、緊張しました。私の説明を聞かれるだけだと思っていると、私が話している間に「それはこうではないか」と指摘され、私がそれにお答えするとさらに鋭いご指摘を受けました。しかも、担当大臣の私よりも詳しくご存知でした。その知識の該博さに驚きました。かなり厳しい口調で的確なご質問でした。国会の質疑のレベルどころではありません。

その十年後に農水大臣に就任した私は、再び直接陛下とお話しする機会をいただきました。栃木県塩谷郡高根沢町御料牧場の隣の牧場でジャージー牛の飼育を天皇皇后両陛下が視察されるということで、担当大臣の私も同行しました。視察後、牧場の小屋で昼食を相伴することになりました。その席も余人を交えずお話しましたが、陛下の変化に少なからず驚きました。低姿勢になられていて、私に対して「大臣はどう思われますか」という丁寧語でお話になられるのです。十年前の行革担当大臣の時には一切敬語を使われないお話しぶりが大きく変化していました。その十年間の間には週刊誌などに度々、皇室批判のような記事が出ていて、ご心労を重ねられていたのではないかと想像します。大臣や大使は陛下が任命(認証)する「臣下」、部下なのです。その部下に対して丁寧語を使われる陛下にお気の毒な感じを受けました。「太田」と呼び捨てにしていただきたいと思ったことが記憶に残っています。

 

 

 

頭が下る想い

 

 

天皇皇后両陛下は,宮中の祭祀を大切に受け継がれ,常に国民の幸せを祈っておられ,年間約20件近くの祭儀が行われています。皇太子同妃両殿下をはじめ皇族方も宮中祭祀を大切になさっています。そのお姿を拝見する機会もありました。毎年十一月二十三日に、天皇五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる新嘗祭」に閣僚として参列しました。夜の十一時から始まり、真夜中の二時ごろに宮内庁から「お寒いでしょうからお帰りになっても結構です」と言われて、私たち閣僚は辞去するのですが、宮家の方々はそのままの姿勢で残られていましたから、恐らく朝まで行われているのでしょう。真冬の深更ですからかなり寒いのですが、国民の為に祈られる両陛下及び宮家の方々には本当に感謝の言葉もありません。また、宮中三殿賢所(かしこどころ)で両陛下の儀式を拝見しましたが、ご高齢にもかかわらず、かなり激しい動きで驚きました。このお祈りを年十数回こなされた上に、総理大臣、最高裁判所長官の任命、国会の招集など様々な国事行為の他に、園遊会、会見、外国からの賓客を迎えての晩餐会などのご公務をこなされるのですから、頭が下る思いです。

両陛下自ら国民の為にお祈りされるお姿を拝見し、日本国民にとって天皇という存在はどういうものなのかを考えさせられます。五穀豊穣の神様に感謝する神事は、瑞穂の国・日本の精神的土台になるものです。身を削って神事を敢行なさる天皇という存在は、他国にはない「戦わない元首」の姿に他なりません。その意味を国民全体で共有すべきではありませんか。そうした天皇の真のお姿を伝えられていないのは、「政教分離」という宮内庁の深謀遠慮からきているのかもしれません。しかし、陛下が勤しまれる神事は「神道」で、宗教ではなく日本の文化であり生き方なのです。国民の為にお祈りされるのは、「政教一致」でも何でもありません「君臨すれど統治せず」国民の為に、ある意味自己犠牲を厭わずお祈りされる陛下に対して、国民が自然に崇敬の念を抱くことが、国家の精神的安寧に繋がるのです。

皇太子殿下のエピソードがあります。現・皇太子殿下が小学生時代、学校行事として学外の施設を見学に行かれた後、学友たちと銀座のデパートを訪れた時に、他のご学友がおもちゃを買っている中で皇太子は何も買われなかったそうです。どう見ても欲しいのに我慢している様子を見た学友が「殿下、買われたらいいではないですか」と誘うと「国民の税金で自分が好きなものを買ってはいけないんだ」と仰ったそうです。恐らく、天皇皇后両陛下がこうした教育をされていたのでしょう。「他の国の王室と皇室は違うんだ」自分自身を律していらっしゃるこの姿が、日本国民に伝わっているのです。「この崇敬すべきご一家を身を挺してお守りするのが宮内庁の仕事ではないか」週刊誌のバッシング記事が出ていた頃に、宮内庁長官に苦言を呈したことがあります。

新しい年。今年も色んなことが国内外で起きるでしょう。「決して戦わず、権力も持たず、その権威とお祈りで国民の平和と健康を願う」世界にも稀有な元首が、天皇という存在である事。この日本人の精神的支柱をもう一度再認識することが必要です。