オッサン3人組の「奥穂高岳山行記」

1日目(松本市前泊) 南シナ海で台風が発生して山の天気予報「てんくら」を出発前まで頻繁にチェックしていた。コロコロ変わるので判断しにくい。ところが、前日、条件が良くなってきた。それでも本番の頂上アタックの日はまだよくない。 11時の便で小牧空港へ。ここからは68歳の先輩と落ち合うことになっている。先輩は3日前から車で福岡を出立して、キャンプしながら小牧にやってくる。1時前に無事合流して、一路松本市へ。愛知県から岐阜市に入って長野県に入ると、眼前に2000から3000メートル級の峰々が…九州にはない光景に息を飲んだ。「あれが北岳甲斐駒ケ岳?」などとはしゃぐオッサン3人組。童心に戻っている。  松本市を訪れるのは、生まれて初めてのオッサン。苗字と同じ名の松本市は以前から興味があったが、縁がなかった、かろうじて学生時代のクラスメイトに松本深志高校出身者がいたくらいか。時間があったら松本城を見学したかったが、市内に着いたのが3時半。お城を一目でも見ようと城を目指した。お城が近くで望める道に路上駐車してお城を仰いだ。小ぶりだが、木造の立派なお城だ。  先輩は別の宿を予約していたので、お店で合流することにして、投宿して荷物をほどいて一息。ネット探した蕎麦屋に入った。やはり、松本に来たからには、信州そばと地酒は味わいたい。蜂の子の甘露煮など地元ならではのあてで地酒を楽しんで、〆に出て来たざるそばを手繰ると、うまい!やはり本場のそばは違うなあ。翌朝は3時起床なので早く寝ないといけないが、先輩と別れて街を徘徊して二軒目を探索。蕎麦屋はもちろんだが、焼き鳥屋も多いようだ。その中で気になって暖簾をくぐったのが、「鳥心」。路地奥なので一見客は見付けづらいだろう。入ると、コの字型のカウンターはほぼ客で埋まっていたが、幸い奥に2席空いていたので、腰を下ろした。  もうかなり飲んでいるが、酒吞みのオッサンは口開けの生ビール、相棒は地酒1合(オッサンもその後地酒を1杯)。頼んだ焼き鳥は1人4,5本だったが、おいしかった。どうも老舗の焼鳥屋のようで、焼鳥屋が多い福岡でも味は上位に入るのではないだろうか。接客もいい。 2日目(上高地バスセンター~涸沢小屋) 翌朝は4時にホテルを出立するので、3時に起床。ザックはパッキング終えている。これから3日間は風呂に入れないので朝風呂入ってすっきりして身支度。ザックは空港で預ける時に測ると、8キロ。8キロとばかり思い込んでいたトレーニングの時よりかなり軽く感じたので、トレーニングは実際は10キロだったかもしれない。その勘違いが後に役に立った。 コンビニで朝食と昼食を買って、一路「さわんどバスターミナル」を目指す。天気は良さそうだ。今日は気持ちよく涸沢まで行けるだろう。しかし、翌日の天気はまだ分からない。最悪の場合は頂上を断念しないといけないかもしれないが、今日は今日で楽しもう。 五時半ごろに「第3駐車場」に到着する。車はかなり停まっていたが、まだ余裕はありそうだ。最盛期にはこの駐車場は早朝から満杯になって、ターミナルから遠い駐車場に停めることもあるという情報もあったのだが、幸先いい。この幸先良さの恩恵を最後まで享けることをこの時期は知る由もなかった。  始発から2本目のバスに乗ることができた。ここでちょっとしたトラブル。自動発券機の隣で一所懸命説明している女性がいた。オッサンの番になった。別に緊張していたわけではないが、画面に出てきたピンクのゾーンをタッチ…あっ!「小人」のところをタッチしてしまった。後ろにはすでに待っている人が…女性が窓口で現金を払い戻してくれる。「今度やったら叩きますよ(苦笑)」嗚呼、情けなや。  7時くらいにいよいよ上高地バスセンターに到着。さて、準備。その前に売店寄ってビールを探す。コンビニで買いそびれた。ロング缶が400円。下界より少し高いが、それでも山小屋では1000円するので、買わない手はない。1本、買ってザックに詰める。う~ん、もう1本買っておこうか。変なところで節約精神を発露させてもう1本買った。 7時半ごろに出発。本格的な登りが始まる横尾まで平坦な道が延々と続く。初めての地なので、爽快で少々高揚感を湛ながら気持ちよく歩き始めた。観光客でごった返す「河童橋」。芥川龍之介の「河童」に出てくるという有名なスポットだ。中学か高校時代に読んだことはあると思うが、内容は全く覚えていない。帰ってから再読してみよう。  河童橋の次のスポットは「明神池」。「穂高奥宮」参拝と明神池見物。ご祭神は「穂高見命(ほたかみにみこと)」で、北アルプスの総鎮守、海陸交通の守り神、結びの神として鎮座しているそうだ。この付近は、古くから「神合地」「神垣地」「神河内」などと呼ばれていて、安曇族の神が穂高岳に降臨したという伝えが残っている。海人(あま)族の始祖である安曇族の発祥地は福岡・志賀島。その志賀島を何らかの原因で追われて、日本各地に住み着く。長野県の安曇野はその名残。福岡と穂高は安曇族が縁を取り持っているんだなと実感する。  本殿を参拝するが、小銭が30円しかない…「すみません」と頭を下げながら二礼二拍手一礼。社務所を覗くと明神池拝観料500円とあった。池を見てみたいし、奥宮も拝みたい。賽銭変わりに拝観料を払った。綺麗な湖面に出た艀の先に質素な奥宮があり、その先に明神岳(2931)の威容がどーんと聳え立つ。その景色は圧巻だ。水もきれいで、イワナの稚魚が泳いでいるのが見えた。  さて、本道に戻って再びひたすら歩く。次第に汗ばんできた。それにしても植生や鳥のさえずりが九州とは違う。明神から30分ほどして徳沢園に着いた。ここは井上靖の「氷壁」の舞台になった徳沢小屋が前身だそうで、オッサンも数年前に読んだが、全く記憶していない。また、再読する本が増えた。  しばらく休憩して再び歩き出す。まだ平坦な道が延々続く。すると梓川沿いに出た。眼前に高い峰が現れる。前穂高岳(3090)だ。計画では余裕があれば奥尾穂高から「吊り尾根」を辿って登ることになっている。かなり厳しいだろうが…それにしても、これまでネットなどで何度も見ていた北アルプスの風景が現実に目の前に現れるのには、感動する。  しばらくしていよいよ登り口の始点である「横尾」に着いた。出発から2時間少々。ここは槍ヶ岳奥穂高岳の分岐点で、登山者の最後の休息地。少し休んで、さてこれからが本番だ。ここから標高差約700メートル上の今日の宿泊地である涸沢小屋を目指す。橋を渡ってしばらく川沿いを歩いて樹林帯に入った。段々斜度が出て来た。日差しも強くなって暑い。この先の「本谷(ほんたに)橋」で昼食を摂る。梓川に流れ込む支流には冷たく清冽な水が流れている。コンビニで買ったのり弁をつまみにビール。天気はいいし、雪解け水は冷たくて気持ちいい。ここが登山者の絶好の休憩場所になっているのも頷ける。 休憩終わって、再び登る。暑い。石段状になった登りは、地元の宝満山の石段を思い出させる。落石注意のトラバースは、上を見ると石がびっしり詰まっていて、地震や大雨が降ったら落ちてくるのではないか。恐る恐るかつ急いで渡った。  再び急登。先輩の調子は問題なさそうだ。かなりトレーニングして備えていて、本番できっちり登れている。すごい68歳だ、と思っていたら、それよりもかなり年かさの老夫婦に追いついた。77歳と75歳。すごい人はまだ上にいる。涸沢までだそうだが、あそこまで登れるのはすごいなあ。  途中で水が流れているところで小休止して、小屋まであと2合というところか。樹林帯がなくなったので、日差しがもろに当たってますます暑くなってきた。途中でザイテンクラート、雪渓、稜線の片隅に二泊目の穂高岳山荘が見えた。「明日はあそこに行くんだなあ」と疲れているが、「早くおいで」と言われているようで元気をもらう。しかし、明日登れても明後日崩れれば、急な下りの岩場は危険だろう。明日の朝判断するしかない。 ヒュッテと小屋の分岐に到着して小休憩。もうすぐかと思ったら、また登り。ようやく小屋が見えてきた。すでにテントがかなり設営されている。3時過ぎにようやく小屋に到着した。出発して8時間弱。第一関門を突破できた。  5時の夕食まで時間があったので、テラスでビールを呷った。うまいなあ!いつもビールの一口はうまいと思うが、このシチュエーションでのビールは最高だ。気が付けばそのまま宴会に突入していた。持って行ったアイリッシュウィスキー「ブッシュミルズ」を雪解け水で割ると、これもうまい。気が付けば全部飲み干していた。 そして夕食。こんな山でこれだけの料理が出てくるとは、驚いた。下界で滅多にやらないご飯のお代わりもやってしまった。そして、7時ごろに就寝。 3日目(涸沢小屋~奥穂高岳) 朝4時前に目が覚めた。まだ、誰も起きていないので、外に出て一服しながら人が起き出すのを待った。 ようやく、人が起き出したので、オッサンもサブザックに荷物を詰め始めた。無料の貸し出しもあったが、今使っている古いザックがへたってきたので普段使いに用意した。使わない時はコンパクトにまとまりながら、軽量でチェストベルトも付いていて、18リットルとそこそこ入る。入れたのは雨具、行動食、着替え少々と水。水は上にもあるので山荘までの分だから1リットルもあれば足りるだろう。  朝食は早出なので弁当にしてもらい、穂高岳山荘で食べることにしている。外で待っているとメンバー二人が出てきて、ショッキングなことを言われた。 「いびき」だ。実はオッサンのいびきは前科を持っている。ずいぶん前に高校の同期生たちと山のバンガローでバーベキュ―やって泊まった時にオッサンのいびきに堪らず逃げ出した同期生がかなりいた。また、今年祖母に相棒で九合目小屋に泊まった時も翌朝相棒からかなり苦情を言われた。今回はかなり多くの人が泊っているので、事前に色々と対策を講じた。 口にテープを貼って、喉を滑らかにするスプレーを買って、酒を飲んだ時に試してみた。ICレコーダーで自分のいびきの状態を収録し、翌日聴いてみると…ひどい…これではダメなのか。何とかしないと、と思っているうちに本番を迎えてしまった。 相棒に訊くと、ずっとかき放しで、何度も体を揺すってくれたらしい。仕舞には大きなおならもしたらしく、全く面目ない。皆さん、ごめんなさい。 少し落ち込んだが、5時半前にとにかく出発。出発前に「モルゲンロート」を撮影する。赤ではなかったが、きれいだ。小屋脇の登山口から出発。登りながら、「俺は山小屋に泊まるのは無理なのかなあ。テント泊に切り替えないといけないのかあ」などと考えながら登る。すると、ふと花の香りが。斜面に咲いている花の香なのか。気持ちがすっきりしてきた。 相棒の「酒の量を減らせば」というアドバイスを守ることにして登りに気持ちを集中させる。難所のザイテンクラートの取り付きに着いた。ここは滑落事故が多く、今年も一人亡くなっているので、少々緊張する。小屋で借りたヘルメットを被っているので落石には効果的だろうが、滑落したら意味がない。 すると、先輩のペースががくんと落ちてきた。先頭の相棒はかなり先を登っている。オッサン3人組の編成は、トップが相棒で先輩を挟んでオッサンが殿(しんがり)の縦列。オッサンが先輩から参加を頼まれたので、後ろを守るのは責務だが、先輩のペースががくんと落ちると相棒からかなり離されてしまう。道迷いする道ではないでの、相棒に付き合ってもらう必要はないの。オッサンはその遅いペースに体力は消耗しないが、精神的にはちとつらい。ぐっと足を挙げてそのままという時に何度も止まってしまうので、どうも具合が悪い。事前に何度か登ってそのペースは分かっているはずなのだが、夢にまで見た穂高で気が逸っているのだろう。まだ、人間が出来ていないなあ。 後ろから追いついて来た人たちをやり過ごすが、難所中の難所にさしかかったので、それも出来ない。急かすわけにもいかず、後ろを気にしながら先輩には集中してもらう。すると、下山者に譲るかどうか止まっていたら、避けて通ろうとした下山者が滑った!下は崖。危ういところだった。気が付けば後ろに若い女性たちが3人。「先に行っていいよ」と言うが、「後ろから付いていかせてください」という。う~ん、そう言うけれど、かなり遅いよと内心思いながら、引率状態になっていつの間にか先頭の先輩が校長先生、オッサンが教頭先生みたいな立場になってしまった。 難所をクリアしてしばらくして先輩がついに立ち止まった。少しスペースが出来たので、彼女たちに先を行くように促すと、まだいいですと言うので、「いや、時間かかるから先に行った方がいい」と促した。 先輩に体調を訊くと、どうも薄い空気の影響が出始めているようだ。それまでは九重の連山の1800メートル弱しか経験がないオッサンも出かける前には初めての高度なので順応できるか少し心配だったが、全く問題ない。息が上がって、頭が少し痛いという。それでも根性で一歩一歩登っていく先輩の涙ぐましい努力に敬意を払いながら後ろについていく。 ようやく山荘が見えた。しかし、やはりペースは上がらない。ゆっくり登って2時間半弱で到着。彼女たちがいたので声をかけた。すると、何と九州から来ているという医大生だった。一人が長野出身なので来られたという。普段は九重に登っているそうなので、いつか会えるかもしれない。これから山頂にアタックすると言うので「気を付けて」と声をかけた。 さて、お待ちかねの朝食。いつも6時半に食べているので、すでに空腹だった。弁当は酢のきいたお稲荷と煮物。酢が元気を取り戻してくれる。よく考えられた山の元気食だ。あっという間に平らげて、さていいよいよ目的の奥穂高岳に挑戦する。あいにくガスが出ているが、風があるので吹き飛ばされた合間に絶景を見られるかもしれない。そう期待しながら最初の急な登りに取り付いた。先輩は梯子を二つ難なくクリア。先輩が「これは怖いなあ」と言いながら格闘したのが鎖はあるが岩をぐるりとトラバースする所だ。心配したがここもクリア、オッサンも後に続くが、そこまで怖くない。人にもよるのだろう。 その後も立ち止まっては登るペースの後について、徐々に高度を増す。小屋からは200くらい高度だから、普段登っている斜度。しかし、確かに下を見るとなかなかの高度感だ。オッサンはこういうのは嫌いではない。 小学生くらいの親子連れとすれ違う。すごいなあ。こんなところまで連れて来られるなんて。そう言えば、今朝も涸沢小屋で親子連れに会った。小さい頃から山に連れて行くのはいいが、その反動で山が嫌いになって成長してついてこなくなる恐れもある。実際、オッサンの息子は高校2年の終わりに無理やり熊本県球磨郡の「白髪岳」に引っ張り出して以来、誘うが毎回断られ、今年ようやく宝満に付き合わせたが、もう誘っても登らないだろう。お父さんとこの子たちがいつまでも一緒に登れればいいなあと思った次第。   ようやく頂上が見えてきた。相棒はすでに到着しているようだ。オッサンのミッションの一つである先輩を奥穂高の頂に立たせるまであと一息。もう危ないところはなさそうだ。きつそうな先輩に断りを入れて、残りわずかな距離だが独りで歩きたかった。すぐに到着。頂上から下りて来た彼女たちがガスが晴れてジャンダルムも見えたと喜んでいたが、その通り、ガスが時折晴れてジャンダルムがくっきりと見えた。  ジャンダルム (Gendarme) は、奥穂高岳の西南西にあるドーム型の岩稜。 標高は3,163 m。 名称はスイス・アルプス山脈のアイガーにある垂直の絶壁(高さ約200 m)の通称に由来するが、本来はフランス語で国家憲兵のことだそうだ。この頂に登る強者は絶えないが、今日のこのガスの中ではと思って目を凝らすと、頂上に人がいた。大したものだ。  頂上にある穂高神社の「嶺宮」に賽銭を入れて無事の登頂の感謝と下山の無事を祈る。ようやくここにたどり着けた。ありがたいことだ。頂上に立ったオッサンを相棒に撮ってもらった。普段は自分の写真は撮らないが、今回は特別だ。 下りて到着した先輩と記念撮影。先輩も感無量の面持ちだ。相棒はしきりに感嘆の声をあげている。   頂上真下の広いスペースで休憩。ガスで槍ヶ岳などの景色は望めないが、それでも過ごしやすい。しばらく、感慨にふけった。オプションの前穂高行きはこの感動で消し飛んで、下りることになった。  下山は、先輩も足取りはしっかりしていて、難なく小屋まで下りた。怖さの度合いは、宮崎の大崩(おおくえ)山の坊主尾根下りの方が怖いかもしれない。  小屋のテラスでビールと担々麺。うまいなあ~。食べ終わって、夕食までまだかなり時間があるので二人は早速昼寝。オッサンはもったいないので、小屋の世棚にある山岳漫画「岳」を借りて読むことにした。この漫画に出てくる山荘の小屋番のモデルで遭難者の救助活動に携わった宮田八郎さん(享年52)は、3年前にシーカヤックで遭難死した。彼が撮り貯めた穂高の映像と宮田さん自身の特集番組を観て感動し、一度は来てみたいと思っていたのが、当初は涸沢をベースキャンプにして奥穂高に登る予定だったが、後から書くが偶然の巡りあわせで泊まることになった。  実名ではないが、宮田さんと分かる人物の章を見付けた。かなり魅力的な人のようで、ユーモラスに描かれていた。会えていたらなあと栓無き事を。  時折一服しに外に出るが正面はガスで景色は見えない。試しに裏側に回ると、ガスは無く絶景が広がっていた。ジャンダルムもはっきり望める。目を転じるとなかなかの山容。何という山だろうと思っていると、笠ヶ岳だと教えてもらった。  ここで一服していると男性二人組がやってきた。さっきオッサンの寝床の向かい側の人たちではないか…恐る恐る「あの~私、イビキをかいて迷惑かけるかも」と声をかけると、大阪弁で自分もかくので早いもん勝ちですとカラカラと笑われた。大阪人は逞しい。しばらく、山の話で盛り上がった。あ~俺一人じゃなかったんだと妙に安心して気持ちが少しだけ軽くなった。  夕食前に二人が起きて来たので、食事前にビールであらためて乾杯。相棒の監視下、薄い水割りをちびちびやる。何とか飯の時間までもてせた。飯を食えば酒はそんなに入らない。すると、ものすごい雨が降り出した。予報では雨はやみそうだが下りが心配だ。とにかく飯だ。今夜もおいしくてお代わりしたのは言うまでもない。  食後。談話室で話しているとテレビが点いた。オリンピックのレスリングの敗者復活戦。ああ、そうだった。下界ではオリンピックもそろそろ終わりだなあと思っていたら、寝て元気を取り戻した先輩が「野球はどうなった?」と言うのでネットで確認すると七時からテレビ中継。フロントにチャンネル変えられるか訊くと、原則は天気予報の番組に限るとのことでしばらくしてスイッチが切られた。 何もすることがないので、また談笑して残りのウィスキーを三人で飲む。オッサンは、ここは我慢と薄めの水割り一杯で何とかしのいだ。いよいよ寝ようということで8時に寝床に入ると、ものすごいいびき。向かいの彼のいびきだ。ああ、俺もあれくらいの大イビキをかいているんだろうなと気を引き締めて、テープを二枚貼った。ほとんど酔っていないので、寝つきが悪い。すると30分くらいしてぴたりといびきが止まった…被害に遭った相棒に言わせると、オッサンのはほぼ一晩中だったようだから、ホントに迷惑かけたんだなと再認識させられた。 4日目(穂高岳山荘~上高地バスターミナル) うつらうつらしながらトイレで目が覚めると3時半。4時起床5時出発なので二度寝は止めようと、床を這い出してトイレを済ませて、外に出た。空を見上げると満天の星。晴れている。今日の下山も好天に恵まれそうだ。 4時。二人が起きてきたので準備。オッサンのいびきは大丈夫だったようでホッとする。やはり、酒の飲み過ぎが原因のようだ。今後の小屋泊まりは節酒だな。すると、先輩がフロントに何か言っている。名札を付けていたのに靴が無いという。ずぼらして付けていなかったオッサンも相棒の靴はあるのに…間違った人は気づかなかったんだろうか?不思議だ。とにかく同じメーカー同じサイズの靴をレンタルしてもらい、いよいよ下山開始。少し肌寒いが風もなく、今日もいいコンディションだ。あっという間の3日間だった。ほんのりとした名残惜しさを噛み締めながら下る。 しばらくすると陸続とした登山者と出合う。若い人が多い。今日は、山の日か。部活か何かなんだろう。「おはよう。気を付けて」と声をかけながら下った。 涸沢小屋に到着して、借りたヘルメットを返して預けたザックを受け取り、朝食。穂高岳山荘名物の朴葉(ほうば)ずしに鮎の甘露煮、ささみの天ぷらと豪勢だ。昨日の涸沢小屋の稲荷と同じ酢飯なので朝から元気が出る。量も多い。大食漢のオッサンでもフゥーと言うくらい。二人は残したがオッサンは何とか完食。鮎の甘露煮もうまかった。 サブザックの荷物をメーンのザックに詰め替えて再び下山開始。難所のザイテンクラートを下ったので、後は何とか無事にいけるだろう。昨日、昼食休憩して本谷橋たもとで中休憩して、横尾までの最後の下りを下りた。 横尾から平坦な道を上高地まで戻る。徳沢で昼食休憩して明神をスルーして一気にバスターミナルまで歩くことにした。次第に下る団体さんが多くなった。相棒がスピードを上げる。先輩とオッサンもスピードを上げて団体さんを追い抜くが、登山者に加えて観光客もかなり歩いてきているので、神経使いながら黙々と歩く。 相棒とバスなど帰路の打ち合わせをしたいので、先輩を置いてぐんとスピードを上げて追いつく。夜8時の飛行機は今のところ台風の影響で「調査中」になっている。今夜、九州に台風が上陸するからだ。できるだけ早く空港について状況を確認したい。そのままバスターミナルまで一気に歩いた。1時半前に到着してダイヤを見ると、1時45分の便があったので、そのまま乗り込み、さわんどバスターミナルに到着。 滅多にみやげを買わないオッサンだが、今回だけは協力してくれた妻に何か買おうと売店に入った。そばが好きなので信州そばを買う。駐車場で3日間着放しのシャツとズボンを着替えて、一路小牧空港を目指した。約250キロ。前半は相棒が運転し、途中のPAからオッサンが空港まで運転、6時くらいに到着した。 この後、名古屋、奈良と転戦して福岡に帰る先輩と別れ、カウンターへ。まだ、調査中だそうで、福岡空港に着陸できなかったら小牧から公共交通機関で二時間近く離れている中部国際空港に引き戻すという。翌日の便には乗れるが、できれば今日中に戻りたい。まあ、自然相手なのでなるしかないか。 空港の食事処でプチ宴会。福岡は酒類提供禁止になったが愛知は時間制限だけで飲めるのはラッキー。鶏のから揚げ、枝豆をあての生ビール、地酒、ハイボールを飲んで、〆に味噌カツ定食を平らげて、ちょうどいい時間になった。予定通り出発するようだ。後は福岡空港の状況次第。 少し酔っていたので機中ではほとんど寝ていた。気が付けば着陸態勢に入っている。風でかなり揺れたが無事に着陸、一安心。相棒と地下鉄で自宅がある大濠公園駅で降りた。外は暴風だろうから、ここで初めての出番となったザックカバーをかけて、最後の登り(笑)の地下鉄の階段を登って外に出た。むんとする。ああ、九州に帰って来たなと実感する。相棒と別れて自宅にたどり着いたのは10時過ぎ。妻は起きて待っていた。ネットで飛行機の軌道を見ていたようで、着陸した時に「無事に帰ってよかったね」というメッセージが届いていた。 あっという間の奥穂高岳挑戦。終わってみれば、いろんな偶然がオッサンたちを奥穂高岳に運んでくれた。もちろん色々反省点もある。  (感謝すべき事など)  まずは、前泊も含めて4日間、奇跡的に天候がよかったことが挙げられる。南シナ海と太平洋で台風が発生して、どちらかの台風が少しでも進路を変えたり、速度を上げていたら、途中で断念する可能性は十分にあった。天に感謝すると共に、山の神様にも深く感謝したい。  もう一つは、日程の妙だ。実は、当初は1日遅れの6日から松本市に入って山に登る予定だった。ところが、一カ月前の予約開始日の朝8時からにオッサンが涸沢小屋に電話すると、なかなか繋がらない。何度かけてもかからず、繋がったのは1時間少し経ってからだった。すでに満室。慌ててヒュッテに電話しても満室…困った。ネットで見ると、穂高岳山荘はネットで予約することになっていることに気づいて、空き室状況を確認すると、空いていたので取り急ぎ予約した。  他の二人に相談する。上高地から重たいザックを背負って一気に穂高岳山荘まで登るのは無理だということになって、日程を前倒しして、翌朝、前日の反省を生かして、小屋とヒュッテに繰り返し電話した。百回はかけたのではないだろうか。そして30分ほど経って小屋に繋がった。「空いてますか?」と少々緊張しながら尋ねると,OK。ようやく宿を確保できた。松本行のパックの変更で6000円ほど追加料金を払わなければならないが、それは仕方がない。  この「一日の差」がオッサンたちを無事に登らせることになった。最終日になるはずだった9日は天気が悪かったのだ。濡れた岩場を下りるのは神経使うし、レインウェア着て歩くと疲労が増す。天の配剤、災い転じてとはこのことを言うのだろうか。 (反省すべき事など) オッサンの最大の反省点は、やはりイビキだろう。ただし、二日目に酒を抑えたらかかなかったので、今後山小屋に泊まる時は飲み過ぎないようにしよう。 もう一点は、気疲れ。68歳の先輩から参加を希望されて、相棒に快諾してもらった。その後、先輩と3月に初めての山行に選んだのは、約15キロのロングコース、九重連山長者原大船山だった。すでにヤマップに書いたが、先輩が途中で膝痛を起こし危うく遭難しそうになった。その後、トレーニングに励んですっかり登れるようになった先輩の努力には敬意を表したい。ただ、やはりペースは私の約8割程度なので、ここでも書いたように最後はストレスが少し溜まり、何となくギクシャクした感じになったこともある。 人が2人集まれば社会になるといわれる。相棒とは一緒に何度も山に登っていて、互いにその気質は分かっているが、そこに先輩が入ると微妙な空気が生まれる。山の中で3日間も過ごせば、互いに何か違和感だったりストレスを感じるのは当然だと思う。どちらかが我慢するといずれはそのストレスが表出するのも仕方がない。なので、教訓として、3人ではなく4人でパーティを組むべきだと思った。そうすれば、万事丸く収まるのではないか。これは実感だ。 今回の山行は、いろんなことを教えてもらった。奥穂高岳山頂から見えた光景はもちろん一生の宝物になった。 最後に、ずぼらなオッサンを補って余りある計画を作成してくれた相棒、68歳でしっかりと体を作ってもらい、また、年下の生意気なオッサンに付き合ってもらった先輩。そして、オッサンの挑戦にエールをいただいた方々に感謝したい。おっと、忘れていけないのは、いつも迷惑かけているにもかかわらず気持ちよく送り出してくれた妻に感謝したい。 令和3年の山行はこれで26回目。ピーク数は44(重複なし) さあて、次はどの山を目指そうか…