山崩れ、花粉症の蔓延、水産資源の減少… 荒れた人工林問題 「壊れた山」の再生を

  

 

そこが聞きたい!インタビュー

 

山崩れ、花粉症の蔓延、水産資源の減少…

荒れた人工林問題 「壊れた山」の再生を

 

遠賀川源流を守る会 会長青木宣人氏

 

 

国土の七割を山林で占めるわが国。一見、緑豊かに映る山々だが、実は壊れているという。その結果、山崩れなどの災害や花粉症の健康被害、水産資源の減少につながっている。山の再生は愁眉の急なのだが…

 

 

人工林が放置された背景

 

 

 

―日本の山林の現状をどう見ていますか。

青木 昭和二十五年から始まった国の拡大造林事業の過ちが今の日本の山林が荒れている原因です。広葉樹などの雑木を全部切って杉、桧に植え替えさせました。戦後焼け野原になって、その復興のために木材需要が急増したからです。また、公共事業という側面もありました。つまり、戦後復興のために日本全土に均等にお金を落とすという意味もありました。この拡大造林ではお金が出ますから、こぞって雑木、つまり広葉樹を伐採して、杉、桧の苗木を植林していきました。この主力は三から十haの狭い山の所有者たちでした。こうした人たちは山林でご飯を食べていたわけではないのですが、補助金が出るということでこぞって造林していきます。一方、二百haから四百haという広大な森林を所有する林業家は、百年という長いスパンできちんと計画を立てて育てています。国有林も人工造林されて、人工林一千万haのうち約四割の四百万haが造林され、日本の森林面積は国土の約七割の二千五百十万haですが、わずか二十年間で実にその四割が人工林になっています。

―その人工林が放置されていますね。

青木 外材の輸入制限が緩和されたことと、変動相場制に移行して円高が進み国内材が外材に価格競争で勝てなくなったことがあります。また、国は当初、植えて十五年経過して出た間伐材は建設現場の足場の丸太として使え、二十年経過すると九センチ角の木材をバラックなどの簡易建物の材料に使えると奨励しました。そして、四十五年から五十年経過すれば全部主伐(しゅばつ)して建築材として売れるという謳い文句で、銀行に預金するよりも植林した方がいいと奨励されたのです。

 ところが十五年経った頃には建設現場で足場材は丸太から鋼管に変ってしまい、需要がなくなりました。住宅工法もそれまで曲った木材を組み合わせた伝統工法からツーバイフォー工法に変わって真っ直ぐな木材を使うようになり、外材が使われるようになりました。施主からも工期を短縮する要望が強くなっていましたからね。売れない木の面倒を見てもお金にならないので、所有者たちは日雇い仕事などでお金を稼いだ方がいいとなって山に背を向けて、その結果放置されていくことになります。

 

 

 

「緑の砂漠」

 

 

―放置された山林はどうなっているんでしょう?

青木 植えて十五年間は除伐、間伐、枝打ちをやれば、日光が当って光合成で下草は豊かに生えます。これをやらないと、細くひょろっとした木になります。そして上部には葉が茂りますから、日光が下に届きませんから光合成が起きません。すると、地表が瘠せてしまいます。山にとって大事なのは木より地表なんです。山の表土に光合成によって下草や苔が密集して、そこに落葉が堆積して腐葉土になります。その表土がスポンジ役になって降った雨を吸収して何年もかけて地下深くに浸み込んでその水が谷川に流れ、川が潤うというサイクルを作り出します。それが放置林になって地表がやせ衰えてしまっています。表土が固くなっているので、雨が降ると地下に浸み込まず、表土をそのまま流れてしまいます。保水力が落ちるわけです。そうなると、木は根が張れず風が吹くと木の上部だけではなく地表も揺れて亀裂ができます。そこに水が入り込んで一気に倒れる、山崩れが起きます。

―昨年起きた広島の大水害の様子を見ると、流れ着いた大木の根が小さかったのが印象に残りました。

青木 根張りが小さいから大雨が降ると山崩れを起こします。これは放置されたこともありますが、植林の時にも原因があります。挿し木で植えているから、木の支えになる直根が生えていないんです。実生(みしょう)で植えたら直根が生えて横に根が張っていきます。しかし、実生は発着率が悪く植えにくいために簡易な挿し木を植えました。根が張っていない木が育ち、山崩れしやすい遠因になりました。

また、春先になると多くの人が悩まされる花粉症も人口造林が原因です。造林が始まった頃に、無花粉の木が発見されていました。繁殖させるための造林ではありませんから花粉は無くてもいいし、育ちやすいという利点があります。当時、今のように花粉症が流行るとは判ってはいなかったと思いますが、林学者の中にはこのままでは将来、膨大な花粉が山から飛んできてとんでもない事態になると予想し、この木を使うように勧めました。また、山崩れの危険性も指摘していました。しかし、価格が高いという理由で誰も使いませんでした。間伐がしやすいようにまだら間伐と筋状間伐という手法を発表した学者もいます。つまり、針葉樹と広葉樹をまだら模様あるいは筋状に交互に植える植林法です。まだら間伐を実施した数少ない地域で成功したのは、宮崎県諸塚村です。

―一見、緑豊かに見える山林の中で大変なことが起きているんですね。

青木 遠目には緑に覆われているのですが、実態は「緑の砂漠」と言った方がいいでしょうね。

―よく山に登るのですが、広葉樹林帯を歩いていると鳥のさえずりが聴こえているのに、針葉樹林帯に入るとピタッと聞こえなくなります。

青木 針葉樹の樹液にはヒノキチオールなどの毒性の強いアルカロイドが含まれるため虫の種類が極端に少ないため鳥が寄り付きません。また、針葉樹の葉は小さいので虫が食べにくいこともあります。人工林は限られた木しかありませんから、落葉に含まれる養分も限られてしまい、生息する土中昆虫、微生物も限られてしまいます。つまり、生物の多様性が大きく損なわれているのです。これはある種の環境破壊だと思います。本来、山林は色んな樹木があって色んな落葉があるから、生物の多様性が保たれているはずなんです。それが水の養分も乏しくさせているのではないかと見ています。山が壊れているのが実態です。

 以前から林学者たちの間では、理想の山林のあり方は、針葉樹と広葉樹の「針広混交林」だと言われていました。杉は日本在来の樹木です。これは守るべきです。五十年くらいで主伐していますが、これは人間で言えば小学生クラスです。杉は屋久杉のように千年の樹齢のものがあるわけですからね。社寺仏閣の建材になるには、百年、二百年のものを使うべきなんです。また、木材の自給率を向上させるためには、針葉樹もある程度必要です。と言うのも、東南アジアの南洋材は資源の枯渇と自然保護で伐採が禁止になって輸入が激減しています。また、北米材も規制が厳しくなって供給が減ってきています。ロシア・シベリヤの北洋材も資源が減少していて、今後輸入に依存するのは難しくなるでしょう。国産材の供給力を高めないといけません。そういう意味でも、日本の山をバランスのとれた針広混交林化する必要があります。

 

 

 

「漁民の森」

 

 

 

―山崩れなどの災害を防ぎ、川の水質を守るためにも山を復活させないといけません。

青木 針広混交林に変えるには、個人の力では到底無理ですから、林野行政として取り組むべきです。九州の人工林の八割は個人所有ですから、国が取り組まないとできません。

遠賀川の源流の森を守る活動を続けていますね。

青木 二十年間、ボランティアで源流の森づくりのアドバイザーをやっています。しかし、個人所有の山ですから、伐採するように言えません。それでも理解していただいた所有者には私有林を伐採させてもらって、広葉樹を植林しています。植えている樹木は適地適木という手法で高度や周囲の植生を考慮して植林しています。主木は、カシ、シイ、タブノキです。この中に山桜、紅葉、アオダモを入れます。しかし、なかなか思うように進んでいません。別に源流地域にこだわる必要はありません。中流域、下流域の山からも遠賀川に水が流れ込んでいるのですから、各地域でやってもらえればと思っています。杉は水分を好む樹木ですからできるだけ谷側に植えて、ヒノキは水分をそこまで必要としないので中層に、それ以上は広葉樹を植えるのが適地適木の理想なのですが、拡大造林で山全てに針葉樹を植えてしまったのです。

―広葉樹はやはり根が強く張るのですか?

青木 日本の森林はほとんどが山の傾斜に植生しています。日本人にとって当たり前と思われるかもしれませんが、外国、例えばドイツ、デンマークの森林はほとんど平地にあり、森なのです。そういう意味では、日本の場合森づくりイコール山づくりなんです。木には腹と背があります。針葉樹は、谷側が腹で上方向が背です。木は背から成長しますから、根張りが弱くなります。広葉樹は逆で谷側から成長しますから、谷側から根を張っていきます。広葉樹は根張りが強いんです。それから、樹木には直根深根性と浅根性があります。広葉樹は深根性で針葉樹は浅根性ですから、根張りの強さは全く違います。広葉樹は岩を割ってでも根を張ります。

―山の荒廃の根本には日本人の変質があるように思えます。

青木 林業は子孫のためにやるものです。百年先の子孫の繁栄と安心のために木を植え、育てるのが林業のあるべき姿なのですが、今は自分たちの代のことしか考えていません。これでは子孫につけを回すだけなのです。この背景には、日本人が拝金主義になってしまったことがあるでしょう。また、行過ぎた個人主義もあります。かつて日本人には結(ゆい)という共同作業制度がありました。互いに助け合って生きていく。そういう意識がなくなりつつあるのが、山の荒廃という現象に現われています。

 古来日本人は山の恵みを受けて生きてきました。山の木を椀、お盆、櫃(ひつ)に加工したり、薪や炭を作って売るなど山の恵みで生きてきました。山から流れる川の水は魚を育て、田畑を潤します。広葉樹の落葉でできた豊富なプランクトンが川を伝って海に注がれ、それを求めて魚が集り漁をして海の恵みを得ています。また、沿岸の魚を沖の魚が食べてそれをまた大きな魚が食べるという食物連鎖の起点が山なのです。山を守ることが水産資源を守ることに直結しているんです。そのことに気付いた漁民で、山の保護のために「漁民の森」という活動を始めています。さきがけは、北海道稚内の手塩川です。天然ホタテ貝漁が減少していることに危機感を持って、漁村の婦人部が漁民の森を始めました。九州では熊本県の緑川源流に漁民の森があります。

しかし、まだまだ山林を再生する動きは本格的に始まっていません。日本人の生活は山に始まっているのです。その山に背を向けてしまっては、生活を営むことができません。また、災害も防げません。山崩れ、花粉症の蔓延、水産資源の枯渇などは、人災であるという共有認識を持って、どうすれば山が再生できるかを国と国民が一体となって取り組めば、出来ないことはありません。

 

 

青木氏プロフィール

 

昭和15年(1940)、熊本県大津町生まれ。北海道大学農学部で林学を学ぶ。卒業後、森林環境学を学ぶためにフランスに留学するが、ヨーロッパ、中東を放浪しインドへ。帰国後北大の研究室に戻り、アラスカ、カナダで北方材を調査する。その後、フィリピン、パプアニューギニアパラオ、アフリカ、アマゾンの上流…世界中の植生を調査した。その活動で冒険家としてテレイビ出演、講演会などで活躍する。砂漠の緑化にも取り組み、サハラ砂漠、オーストラリア、アメリカ、中国など砂漠化が進んでいる地域を次々と調査し、砂漠の緑化に取り組む。その後、福岡に移住して「西日本アウトドア協会」を設立、アウトドアの魅力を伝えた。平成23年(2013)嘉麻市うどん屋「千年屋」を開く。現在、サケを遠賀川源流で孵化させて放流し成長したサケを川に戻ってこさせる「遠賀川源流サケの会」会長を務め、源流の森を守るために活動している。