「天皇陛下のメッセージ」

そこが聞きたい!インタビュー 

 

「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、

安定的に続いていくことをひとえに念じ」という天皇陛下

お言葉を矮小化させてはいけません

 

評論家 江崎道朗(えざきみちお)氏

 

 

8月8日に陛下自らが発された「お言葉」。我々国民は、陛下が何を国民に語られたのかをしっかりと受け止めるべきだ。しかし、その受け止め方こそに我々国民の側の問題が潜んでいる、と江崎氏は鋭く指摘する。(取材日平成28年8月29日)

 

 

 

 

皇室存続への強い危機感

 

 

 

―8月8日の「天皇陛下のお言葉」をどう受け止めていますか。

江崎 「生前退位」というテレビや新聞の印象操作の影響でしょうが、陛下のお言葉をきちんと読んでいる人があまりにも少ないと思いました。戦後、天皇皇后両陛下がご苦労をされて国家の安泰と国民の幸福を祈念される「皇室の伝統」を守ってこられたわけですが、そのようなご苦労に対する敬意を払うこともなく、自分の翩々(へんぺん)たる知識と翩々たる理解だけで陛下のお言葉を論評するという傲慢さには、驚き憤りさえ感じます。これでは両陛下はお辛いだろうなと忖度してしまいます。

―お言葉の中でもどこに注目すべきでしょうか。

江崎 我々は、お言葉の一言一句を理解しようと努めるべきなのは言うまでもありません。例えば、「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、天皇が国民に、天皇と云う象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました」という箇所には、陛下が「国民に、天皇と云う象徴の立場への理解を求める」ために全国をご巡幸なさるなど、超人的な努力をされてこられたことを我々は深く受け止めるべきなのです。

こうしたご努力をされてきた陛下のお言葉の中に非常に深刻な一節があります。それが最後の「このたび我が国の長い天皇の歴史をあらためて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しました。国民の理解を得られることを、切に願っています」のところです。

 陛下ご自分が象徴天皇を含めた天皇のあり方を国民に理解してもらうために全国を懸命に回られ、そうしたご努力の上に戦後、皇室と国民の関係が成り立ってきたという側面があるわけです。逆に言えば、陛下がここまでやらないと、安定的に続いていかないと、陛下は深刻な危機感を抱いておられるということだと思います。

―陛下ご自身の体力に不安を感じられてのお言葉とも受け取る向きがありますが…

江崎 「国民に、天皇と云う象徴の立場への理解を求める」ために陛下は超人的な努力をされてこられたおかげで、皇室と国民との関係が維持されてきた。ところが、高齢のため、そうした超人的な努力をできなくなるかもしれない中で、今後果たして「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくこと」のかということを危惧されているのではないかと思うのです。単にご自身の体力に不安を覚えたという話ではないと思います。

宮中祭祀をはじめとした国事行為を続けることがご自身の高齢化で危惧されている、と受け止めたのですが…

江崎 本来でしたら、政府が「国民に、天皇と云う象徴の立場への理解を求める」ために学校教育なり、さまざまな行事を開催するべきなのですが、そうしたことをほとんどしてこなかった。そこで陛下は、全国を御巡幸なさるなど、自ら全国に出向いて、国民に皇室に対する理解を求めようとされてこられたわけです。そうした努力が、ご自身の高齢化でできなくなっていったとき、「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いて」いかなくなるかも知れないという危機感がおありだということだと思うのです。

今上天皇陛下は幼少の頃から深い覚悟を持ってらっしゃったようですね。

江崎 終戦の日の日誌に十一歳だった陛下は、「敵がどんなことを言ってくるか分からないが、明治天皇のように皆から仰がれるようになって、日本を導いていく」覚悟をされました。二十歳の時の立太子礼の際には「与えられた運命を逃避することなく、これからの困難な道を進みたい」と決意を述べられました。そうした悲壮な覚悟をされた背景には、皇室を支える仕組みがほとんど無くなってしまったことでした。まず、天皇を輔弼する人物が周囲に乏しかった。それでも高松宮殿下のように昭和の時代にはその任に堪えうる方がいらっしゃいました。

一番の問題は、やはり現行憲法です。憲法の制約に基づいて戦後、どんどん皇室の伝統が削がれていきました。皇室を支えてきた歴史と文化、伝統が消えていったのです。昭和50年頃には内閣法制局が現行憲法下では大嘗祭違憲だという馬鹿げた見解を示しました。そうした動きに対して、一部の民間が懸命に対応しようとしただけで、今でもそうですが、政府・自民党は何もしてこなかった。そうした何のサポートも無い中で、皇室としての立ち位置を現行憲法の中で確保しなければならない、そのご苦労のほどがいかばかりかについて思いをいたす国民がほとんどいないのが現状です。戦後、現行憲法と皇室、皇室の伝統についての理解が少ないのに、軽々に法整備を論じる姿は本当に見苦しいものです。

女系天皇論議も盛んになっていました。

江崎 男系天皇は皇室の大事な伝統であり、それを軽んじることは慎むべきです。ただ、その前提として国民・国家の安寧・幸せを祈る中で皇室がどうやって日本を支えてこられたかということを我々国民の側がしっかりと知っておく必要があると思います。陛下の超人的な努力によって支えられてきた象徴天皇の務めが、陛下の高齢化の中で「途切れることなく、安定的に続いていく」ことが困難になるかも知れないという事態に対して、そもそも陛下が超人的な努力をしなければならないほど、皇室をお支えする仕組み、皇室に対する国民の理解を深める仕組みが欠落している現状をどう立て直すのかが、政府に問われていることだと私は思うのです。

宮内庁は外務省と厚労省の役人達の出向で占められ、輔弼する役所にはなっていない。そもそも、天皇の務めに対する国民の理解を深める学校教育をやってこなかったことが大きいと思います。それどころか、学習指導要領から天皇に対する理解と敬愛の念を削ってしまいました。

皇室に対する国民の理解を深める仕組みが無いから、陛下自ら全国を回られて国民の声を聞かざる得ない状況になってしまっていることに対する痛苦な反省の念を、政府はまず持つべきです。政府も国民もなにもしなくても、皇室は続いていくという幻想にひたってしまって、皇室をお支えするという意味を理解できる人がほとんどいなくなってしまったことが最大の危機だと思います。

 

 

国民の側が深く忖度すべきこと

 

 

 

―そのためには大人が皇室の存在を再認識する必要がありますし、将来世代の子どもたちの教育も重要になりますね。どこから始めればいいでしょう?

江崎 そのためには、歴代天皇と国民の関係性についての歴史を学ぶべきです。伝統の継承者である天皇の、その皇室の伝統をしっかりとイメージできる今の日本に日本人がどれだけいるでしょうか。

陛下の「伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深い思いを致し」というお言葉について、深く思いを致している国民が果たしてどれだけいるでしょうか。我々は、「皇室の伝統について何も知らない」という痛苦な反省に基づいて謙虚に学ぶところから始めるべきだと思います。政府も、皇室制度についての審議会などを開く前に、皇室の伝統と、戦後の皇室に対する憲法解釈の間違いについて正確に理解する必要があります。左翼メディアは、現行憲法の枠組みの中に天皇を押し込めようとしていますし、内閣法制局も昭和50年代以降、宮沢憲法学といって、天皇はロボットに過ぎないという極めて偏った天皇観に立脚している。

こうした傾向に対して陛下は憲法だけではなく皇室の長い歴史と伝統も踏まえてらっしゃいます。政府は、憲法に規定されている天皇の条文だけで天皇を理解しようとしている傲慢さも改めるべきなのです。そもそも現行憲法の英文の原本では「エンペラー」になっていたのを、和訳する時に「国王」ではなく「天皇」としました。天皇という長い歴史と伝統をGHQも、現行憲法もそれを認めていることになります。それが正しい現行憲法の解釈だと思います。

その歴史と伝統は、歴代天皇の御製、詔勅などに現れていいます。歴代天皇が「国と国民の安寧」のために身を削る努力をされてこられたことを理解すべきです。さらに、戦後の現行憲法体制の中で象徴として国民を統合するために今上天皇陛下は様々な努力をされてこられました。そうしなければ国民がバラバラになるという危機感をお持ちだったのでしょう。そのご努力を我々国民が思いを致す必要があります。

―現行憲法にはGHQの「いずれ天皇制を廃止へ」という意図が盛り込まれているとされていますが。

江崎 確かに、皇室を解体しようという当時のGHQ、特にニューディーラー達の思惑がありました。

―その中で陛下は「開かれた皇室」を目指すと一部伝わっていますね。

江崎 それは朝日新聞が歪曲して使った言葉です。陛下は、あくまでも「国民と共にある皇室」と仰いました。そのお言葉を歪曲して、あたかも陛下が皇室の伝統を軽視しているようなイメージを振りまいたのです。朝日新聞らの印象操作に残念ながら、保守派と言われる人たちもそれに引っ掛かってしまっています。「開かれた皇室」とは一言も仰っていません。

―そもそも戦前と戦後で皇室は変質したのでしょうか?

江崎 戦前も一部の左翼・右翼勢力が天皇陛下のお言葉を勝手に自分の都合の言いように解釈して利用していました。統帥権干犯はその典型的な例です。戦前、学校教育で、教育勅語の意味やその背景を正確に理解し、それをどう実践していくのかこそが重要であったはずなのに、教育勅語を暗記することが皇室に対する忠義だといった形式主義に陥ったことも含め、皇室の大御心を仰ぐということが疎かにされてきました。

支那事変勃発後、昭和天皇が「早期解決を」と仰ったにもかかわらず、政府も軍部もそれを無視した。つまり、戦前も戦後も、天皇陛下の仰っていることを軽んじて、自分勝手な解釈をしている点は変わりが無いと思います。

―先のお言葉もしっかりと理解する必要がありますね。

江崎 何度も言いますが、皇室と国民が支え合おうとするところに日本の国柄があるわけで、その国柄のあり様を戦前も一部の為政者たちは見失っていたし、戦後はますますそれが分からなくなってしまいました。今回のお言葉だけが大きく扱われていますが、陛下は毎年年末と年始、そして歌会始に思いを込められた御製を発表されています。お誕生日の会見でも陛下は、多くのお言葉を示されています。普段から陛下のお気持ちに思いを致す機会はあるのに、今回のお言葉だけをクローズアップするのは、いかに日頃から両陛下がどういうことを思っていらっしゃるかに思いを致してきていないかの証左ではないでしょうか。

 

 

 

「典憲体制」復活こそ

 

 

 

―そういう危機感を我々国民が共有した後は、皇室の安定的な存続のためにどうあるべきかを考える必要がありますね。

江崎 旧皇室典範がきちんと整備されたのは、戦前の大日本帝国憲法が制定された18年後なのです。それくらい時間がかかったということは、皇室の歴史と伝統がそれほど重厚なものであり、明治の時代でさえ、皇室の制度を整えるのにそれぐらいの時間をかけたということです。まして皇室の伝統について理解する人もほとんどしない現代においては、まずは政府の中にしかるべき機関を設置して、皇室について徹底的な調査・研究を進めるべきです。

―どうも現状は皇室典範を一般の法律と同列に考えていますね。

江崎 その通りで、皇室典範が現行憲法の下の「法律」となっていること自体が実は問題なのです。

皇室のあり方は(政府要路が懸命にお支えすることを前提に最終的には)皇室にお決めいただくべきであり、政府は干渉すべきではない、これを法制度として考えた場合、皇室典範大日本帝国憲法という両立体制という意味で「典憲体制」と言いますが、こうした趣旨から皇室典範憲法は互いに独立して両立していました。こうすることで、皇室制度に対する政治の影響を抑えるようにし、皇室も政治にできるだけ関与しない体制が確立されました。皇室は政治の権力闘争から一線を画し、国家の安泰と国民の幸福を祈念するという仕組みが明治時代に出来上がったのです。

この先人の知恵を今に生かして、本来でしたら、皇室典範を現行憲法から切り離すべきなのです。終戦後、憲法を押し付けらた時に日本側は、この典憲体制を必死に守ろうとしました。それにもかかわらず、GHQのニューディーラーたちに押し切られてしまいました。この中心人物であるT・A・ビッソンは後に、ソ連のスパイだったことが判明します。皇室典範憲法のもとにおいて、政治家が皇室制度に関与できるようにしておくことで、将来、サヨク政権ができたとき、一気に皇室を廃止しようと考えていたわけです。

戦後、GHQ内部に入り込んだソ連のスパイたちによって「典憲体制」から「憲法の下の皇室典範」に改悪されて、現在に至っているわけです。

―この改悪によって、皇室制度が大きく歪められていきますね。

江崎 GHQの占領政策と現行憲法の解釈によってまず、国政についての陛下の発言権が奪われてしまいました。この典型的な例が、ご自身のことである皇室典範改訂議論が起きた平成18年には、陛下は一切発言されなかったことに現れています。

また、皇室を支えていた枢密院、相談相手であった華族制度が廃止されました。宮内府は宮内庁に格下げされました。皇室経費がすべて国会のコントロール下に置かれたことも問題です。GHQによって経済的特権を剥奪されたこともあって11宮家が臣籍降下をせざるを得なかったことが、現在の男系男子の皇位継承資格者の激減につながっています。

皇室典範等関係法令の大半が廃止されたために、皇族の葬儀や元号即位式に関する法的根拠がなくなってしまったことで、内閣法制局が皇室の儀式などにあれこれと容喙するようになったことも大きな問題です。さらに深刻だったのが、学校で「皇室排除」教育が横行したことです。その上、刑法の不敬罪が廃止されたので、皇室の誹謗記事が氾濫するようになりました。

にもかかわらず、現行憲法では「国民統合の象徴」と規定されて、ばらばらになっていく国民を統合、つまり、国民をまとめていく役割を陛下に担っていただいているわけです。国民をまとめていくということは極めて大変なことです。そして、シリアやウクライナ、ユーゴ、ボスニアなど国家が分裂して内戦になった国を見れば、国民統合がいかに重要なことなのか、よく分かると思います。

このように、極めて重要な国民を統合するという役割を、皇室に担っていただいているのに、その皇室を支える仕組みがGHQと現行憲法によって弱体化されてしまっている。その実情を放置したままでいいのか、ということです。

 なお、具体的な課題である今回の「生前退位」、正確に申し上げれば「譲位」については、陛下が「譲位」なされるとなると、陛下ご自身は「上皇」という御立場になるのではないかと思います。

問題は、その「上皇」になっていただくのを誰が決めるのか、ということです。「典憲体制」という伝統を踏まえれば、現行憲法体制下で可能なのは、皇族もメンバーとなっている皇室会議において、天皇陛下に「上皇」になっていただくことを決定するわけですが、重要なことは、そのことを事前に新帝陛下にご奉告申し上げ、「御勅許」を賜るという形で、あくまで皇室のことは、新帝陛下にお決めいただくということです。そこに政府が介入しないよう慎むべきだと思います。

 

ボールは国民の側に

 

 

 

―皇室は、わが国の国の形の中枢ですから、もっと深く理解すべきですね。皇室の「君臨すれども統治せず」という体制があればこそだと思います。

江崎 正確に言えば、「君臨すれども支配せず」ですね。その支配という意味には、「専制政治を敷かない」という意味が込められています。日本のアカデミズム、特に憲法学の世界は、ヨーロッパの君主制度と日本の皇室とを混同していますが、本来であるならば、ヨーロッパ的な君主制度の概念を日本に適用させていること自体が、おかしいと思います。

 イギリスの憲法の一部「マグナ・カルタ」は国王の専横をどう抑制するかという目的で制定されました。これが「立憲君主制」の始まりです。

他にも、国王の悪政を打倒してできたフランスの「共和制」や、行政、立法、司法がそれぞれ互いに悪さをしないように監視するアメリカの「大統領制プラス三権分立」や、中国にように歴代の王朝が暴政を敷く度に新しい王朝が勃興して現王朝を打倒し新しい王朝を創設することを繰り返す「易姓革命」など、権力者は必ず悪さをするという前提で政治の仕組みを作っています。

ところが、日本の十七条憲法大日本帝国憲法もその逆で、皇室の「大御心(おおみごころ)」というものを国民や政府要人がきちんと受け止めていく事が日本の政治を良くすることだという立法趣旨で作られています。つまり、「国王の意思に制限をかけることが国民の幸せになる」と考えるイギリスと、「天皇の意思を政治に反映させることが国民の幸せになる」と考える日本とは、法の定め方が全く逆なんですね。

―個人的な認識ですが、父とほぼ同世代だからなのかもしれませんが、今上天皇に父性を感じて仕方がありません。昭和天皇は祖父と同世代だったので、「おじいちゃん」という感覚を持ってしまいます。そう考えると、天皇は我々国民の父的な存在ではないかと思います。懐深く黙ってその後姿で国民を善導される無二の存在ではないかとつくづく思います。

江崎 そうした感覚は多くの国民が持っているはずです。問題は、天皇陛下の大御心を拝するのではなく、現行憲法やヨーロッパ流の国王制度を持ち出して、皇室をあれこれと縛ることが正しいと思っているメディアや政治家たちが多いということです。

―メディアや有識者は、むしろ、事の本質、つまり皇室が継承してきた歴史と文化、本来あるべき皇室と国民の関係などを共に考える運動を起こすべきですね。

江崎 陛下の懸命なご努力にお応えし、国民の側がお支えしようとしなければ皇室を戴く日本は成り立たないということを再認識すべきです。ボールは我々国民の側にあります。そのためにも、学校教育が重要になってきます。

―そのためには政府がしっかりしないといけません。

江崎 天皇は国民統合の象徴ですから、党派を超えて皇室を支えるためにどうすればいいかということを政府は知恵を絞るべきです。そのためにも、例えば、陛下が年末、年始に発表される御製について、総理大臣も見解を述べるなど政府の要人たちは両陛下が国・国民の安寧と幸福のために祈念されていることを常に意識し、その重要性を国民に伝えるよう努力すべきです。かつて、文芸評論家の江藤淳先生は「戦後も、大臣はすべからく天皇の大臣である」と述べました。それは、決して封建的な意味ではなく、国民統合の象徴である天皇の意を受けて、政治家は国民のためになる政治をやるべきだという意味なのです。繰り返しますが、そもそも今上陛下がなぜこれほどまでに超人的なご努力をされてこられたのか、それは、陛下に「国民統合」をお願いしながら、現行憲法体制の不備を放置するなど、政府、国民の側の努力が不足しているからです。今回の「お言葉」を契機に、皇室を支えるために政府、国民の側が、現行憲法体制の不備を改め、「国民統合」の役割を果されるに相応しい仕組みを整えるといった具体的な努力をすべきなのです。