陽明学「保護主義という治国」

保護主義という治国

 

 

 

 

保護主義の本当の意味

 

 

 メキシコとの国境に壁を作るとか、入国制限など就任して大統領令を次々に出して世界を驚かせているトランプ大統領ですが、マスコミ各社は彼の政策を「保護主義」と表しています。昨年から世界ではアメリカだけではなく、イギリスのEU離脱に見られるように保護主義の傾向が強まっています。保護主義の原点とは何でしょうか?保護主義の本来の目的は、自国民の生活を安定させて国力を再構築させることに重点を置くことだと思います。

かつて世界恐慌の影響で保護主義に走り、その後戦争というものがあるからなのか、保護主義という言葉に必要以上に嫌悪感を覚える人が多いと思いますが、日本が日本らしさを取り戻すために、保護主義を見直す必要があるのではないかと思います。日本は自国のもの、特に食糧の自給率の向上を考えるべきです。今の経済の状況は、一部の大企業、資産家に富が集中するような仕組みになっています。これが新自由主義が追及してきた産物なのです。いつの間にか、公益という名の個の利益ばかりを追求して、民の為にという真の公益は無視されている状態なのです。

 そもそも本来「国」は我々が言うところの「地域」でした。旧字体では「國」です。この字は地域を城壁で囲むという意味です。治国は地域を治めるということです。

現在の国は「修身斉家治国平天下」(『大学』)でいう天下を指します。トランプ大統領が目指しているのは、アメリカという地域、コミュニティを治めて整えることだと思います。それが私の思う保護主義の原点です。そこでは経済だけではなく、教育や治安などの見直しが始まることでしょう。それに対してこれまでアメリカの新自由主義が向いていたのは、「外」でした。そのため、内に向けるべき教育、治安が疎かになってしまい、社会が不安定になってしまい、その反動が大方の予想を裏切りトランプ大統領の誕生になったのです。アメリカはこれまで移民を受け入れ、安い人件費で国力をつけ、移民の夢に向かうアメリカンドリームというエネルギーに転化してきました。それは100年近い歳月を得て、いつの間にか、自国民を疲弊させる結果となりました。

 トランプ大統領アメリカ史上初の政治経験も軍隊経験もない大統領だそうですが、長い間経営者として成功と失敗を繰り返したプロの経営者で、その経営手腕はスバ抜けたものがあると思います。

陽明学の言葉に「一了百当」という言葉があります。日本では「一を聞いて十を知る」という言葉で使われます。経営のプロは政治のプロでもあるということなのです。経営者の使命はまず自分の家族すなわち従業員を守ることです。

これは国家の立場からしたら保護主義なのです。だからといって家族のことだけを考えても会社は間違いなくつぶれるのです。社会の為、お客様の為というものが前提にないと従業員は守れないのです。今までのアメリカの経営者の多くは会社の価値を上げて、それを売買の対象にするといったものが主流で、日本株の売買も彼らを含め外国の投資家が多く関与しています。会社の社員を守るというよりも株価の変動の方に彼らの関心が行っているようです。しかし、そんな経営者の中でも異質な存在の経営者トランプは大統領にとなって守るべき第一のものが家族であるアメリカ国民そのものだというのです。そのように日本的経営者の感覚を持つトランプがアメリカだけの利益の為に動いているというのはおかしい話ですし、それはマスコミの悪意のある幻想であると思うのです。

また、そのようなトランプ大統領を選んだアメリカ国民の疲弊さは容易に想像できますし、今後展開するであろう日本の姿を見る思いがするのです。

 

 

 

横井小楠の国家観

 

 

 今後日本がそのアメリカとどう付き合うかも重要ですが、まずは世界の動きがそうであるように日本も自国の足元を見つめなおす時期が来ているのではないかと思います。

150年前の幕末の志士たちは、当初攘夷つまり開国を拒否していましたが、維新直前に一転して開国に傾きます。この動きに大きな役割を果たした人物に熊本の横井小楠がいました。彼の思想は時代を先取りし、保守派からも攘夷派からも多くの誤解を招き、その結果明治に入り暗殺されてしまいました。

彼は国家の精神の柱を「孔子」の精神におき、西洋の科学技術を習得していく、いわば「和魂洋才」を最初に唱えました。

とは中国古代の伝説上の帝王で、徳をもって理想的な仁政を行い、血筋ではなく人物の徳を持って政を行うという治世でした。

また小楠は新しい時代の日本はアメリカのような共和制が理想だと指摘しています。

また小楠は富国強兵を主張しましたが、これは戦争の為に外に出るということではなく、あくまでも自衛のため、西洋に侮られないためのものでした。小楠の「熊本実学党」は時代を先取り、日本の伝統と西洋的なものを融合させていく実利に優れていましたが、実学党に藩主・細川公の弟の長岡監物がいたためか、勢力争いに巻き込まれ保守派から批判され攻撃されることになります。

その後、彼が外遊で知り合った人の縁で福井藩主の松平春嶽に見出され「横井小楠」という存在が広く世に出る事になります。有名な坂本龍馬の『船中八策』や由利公正の『五箇条のご誓文』は小楠の『国是七条』を基に書かれています。ですから維新の本来の精神は小楠の思想が根底にあると言ってもいいでしょう。もし、小楠の「和魂洋才」が明治以後に継承されていれば、日本は本当の意味での「和の国」になれたのではないかと想像します。小楠の国家観は現在の日本にとって忘れている大切なものを思い起こさせるのに必要なものであると思います。

保護主義に話を戻しますが、コミュニティ(國)が治まらないと、家も整わない(斉家)、家が整わないと個人を確立(修身)できる場もできないということです。ですから本来の國を取り戻すために大切なことは人々の心を育てて立派な人にしていくことであり、それは家作り、地域づくりへと続いていくのです。まずは『大学』にあるように「正心・誠意・格物・致知」「修身・斎家・治國・平天下」と先人たちが継承してくれたものに従いやっていくことが正道なのです。

 

 

泰平の世に学ぶ

 

 

そうした世界の潮流の中で日本はどうすべきなのか。今までのようにアメリカに追随するだけではやっていけない時代になってくるでしょう。日本という国の真の自立を目指すべき時なのです。

戦後70年経っても自立できてない現状は日本という国の形を明確にしてこなかったことが原因にあると思うのです。まずは歴史を通して日本を知ることなのです。日本らしさとは何かを探すのに、未だ多くの歴史書が残っている江戸時代を研究してみることも一つの方法でしょう。

例えば江戸時代では他国に進出せず、侵略されなかったのは何故でしょうか。鎖国したからと言って、攻められないわけではありません。

実際、江戸時代初期にスペインは日本を虎視眈々と狙って、情報取集係りとしての役割を果たしたのが宣教師たちです。それに気づいた秀吉、家康はキリスト教を禁止し、日本を防衛したのでした。そのように情報が伝わり当然戦力的に自分たちが遥かに上であり、また彼らが欲していた金や銀、銅などの資源が豊富であった日本を攻めようと思えばできたはずですが、結果としてできませんでした。それはなぜでしょうか?いろいろな理由があるのでしょうが、一つに江戸に入り、戦乱の世の中で保持していた武器を棄てたことが大きいと思うのです。武士の刀は武器ではなく、魂を磨くための物です。例えば、目が見えない人は、健常者が持っていない別の感性が磨かれます。日本が武器に頼らなくなって得たものは、今の日本では想像できない人間力、交渉力ではなかったのでしょうか。当時の日本のリーダーたちが身に着けていた人間力が国家として最高の武力だったのではないでしょうか。

江戸時代265年は泰平の世でした。これは、紛れも無い史実です。世界の情報は長崎の出島を通じて入ってきていました。江戸幕府はそれを充分に読み取り分析し、事の本質を見抜く力を持っていました。日本の歴史の中で、日本人の能力を育ててきたのは「漢学」であり、その学問は事の本質を見抜くことを目的とし、これは幼少期に素読し、丸暗記するという学習方法を身に着けていたのです。明治になって海外に出かけた多くの日本人がスペイン語オランダ語、英語をわけなくマスター出来たのは、まさしくこのような訓練を積んでいたからなのです。

 現代の日本を見ると、あまりにも情報に頼り過ぎています。情報に振り回されないためには、感性すなわち「勘」を磨くしかありません。あまりにも膨大な情報は人を情報の奴隷にしてしまうのです。内に向かうことが大切なのです。世界において保護主義の台頭ということは、日本も内に向かえということなのです。何度も言うようですが、これは他を切り捨てて自分だけ生きようとするものではありません。

トランプ大統領の誕生は、日本が自国の歴史、経済、教育などを見つめ直し、本来日本人が持っていた人間力を取り戻す絶好の機会だと捉えてはどうでしょうか。明治から150年、言うべきははっきり言い、一方では相手の話を誠意を持って聞き受け止めていく本来の日本人を取り戻していくべき時なのです。