「陽明学講座」① 陽明学とは

 橘一徳の誰でも学べる「陽明学講座」①

陽明学とは

 

 

「できない」壁

 

 

陽明学とは儒教(学)の流れで言えば朱子学とともに新儒教(学)と言われていますが、一言で言うと、朱子学の「理学」に対して陽明学は「心学」という言葉で表され、内なる心に重きを置いた学問です。儒教(学)は「善は人とともにし、楽しみは人とともにする」(『論語』)が表しているように仁(愛)を中心とした考え方ですし、実は現在私たちが当たり前のように行っている生活様式の多くが儒教から来ているのです。

しかし現代において『論語』に対する誤解が元になっているのか、非常に戒律的で自由を縛るものといった観が強く、特に陽明学は幕末の尊皇攘夷の志士達の中心的思想だったこともあり、革命的な思想だと思う人もいるようですが、実際の陽明学は、革命的で対外的に動くことを強く主張しているのではなく、あくまでも中心は自分のうちに有り、外にある権威や物に振り回されない、しっかりした心を育て本来の自分を取り戻すための学問なのです。

 人は、思いはあっても実行できない心の弱さがあります。例えば、電車の中で、お年寄りに席を譲ろうという思いはあっても、いざやろうとすると出来ないことがあります。「思い」と「行動」が対立した状態が続くと自分の中に葛藤が生じ、自己矛盾に陥ることになるのです。その「できない」という壁をいかに乗り越えていくか。それは、現代に生きる我々だけではなく、江戸時代の幕末の志士たちや、何千年も前からの人々が思い悩む事の一つなのです。

 

心の問題に関する人々の悩みや葛藤は様々な文献を見る限り、時代は変わってもさほど変わっていません。

例えば江戸時代、特にインフラ整備がほぼ完了し経済的に豊かになってきた五代将軍綱吉の時代において、武士道を表した『葉隠』の中に伝統的精神と国の歴史を知らない役人たちが多くいて彼らは政治の道しるべをもっていないことを嘆く内容が書かれてありますし、そうした時代の流れの中にあって、江戸の末期になると人々の不安は、安定してきた経済とは裏腹に、黒船来航による情報の錯綜、またその前後にあった大飢饉、震災により、それまで安定した社会に依存していた自分たちの価値観の見直しを余儀なくされたようです。そうした、一見すると危機と思われた時代に、主に下級武士や商人町人のリーダー達の中に浸透していた陽明学がグローズアップされてきたのでした。つまり、彼らが真から学びたいものは、大きく変化するであろう時代にあって、外の変化や権威にとらわれない、自由な自分の心を取り戻し、本来の自分らしさを見出すための指針を見出すことの出来る学問でした。

 

ここで江戸時代の末期において多くの藩が「官学」の朱子学ではなく、大きく陽明学に傾いたのは、なぜでしょうか?

徳川家康は幕府を開くにあたり、それまで長く続いた戦国の世を治め、平和な国にするために「儒教(学)」を政の柱に置いた「徳治政治」を行ったのでした。

儒教(学)を徳川家康に侍講していた藤原惺窩は、朱子学陽明学の折衷のような儒学者で、どちらかと言えば陽明学に傾いていました。その後継に指名されたのが、のちに大学頭になる林羅山です。羅山は「朱子学」一辺倒でそれが幕府の「官学」になっていきます。朱子学が幕府や諸藩に起用されたのは、統治する側にとっては当時の社会情勢からすると当然のことでした。朱子学陽明学と較べて外の世界に活路を見出していく(窮理)という思想性が強く、長い戦乱の世を平和な世界にするためには規律(ルール)を明確にする必要があり、民をまとめていくために必要なものでした。しかし、それは、各藩によって体制という名のもとに人が本来持つ心の自由性・自立性を抑える度合いの違いがありますが、これは時とともに、人々の心の働きは覆い隠された囲いを破ろうと働くのです。

その時代の流れの中で個人の心に向き合う学問である陽明学が脚光を浴びたのは当然の事と思われます。陽明学の「万街の人皆聖人」という言葉が示すように、全ての人には聖人と同じ心が備わっており、特に江戸時代の商人たちは「人を見たら仏の化身と思え」と言われていたようで、実に陽明学の考え方が日本人にとってピンと来ていたのかもしれません。

 

資本主義と陽明学

 

さて、現代の日本は、科学万能で「知」が重視される時代になっています。しかしそこに「いかに生きるか」という「人間性・道徳性」が欠如していては、せっかくの知も必要悪になりかねませんし、事実、悪用されている例が沢山あります。現代の学問は主に「いかにうまく・上手に生きるか」を教えるものが多いのですが、日本人が柱にしてきた儒教(学)の中心は「いかに生きるか」を教えるいわば「人間学」なのです。

私は現在、陽明学を柱に講演し、講座を開いています。なぜ、陽明学を現代に蘇らせようとしているのか。それは、今までお話してきた内容からご理解して頂けると思いますが、複雑多岐にわたった現代社会にあって、私も含め多くの人々が心の空虚感を抑えられず、自分を見失っている中で、歴史を越えて、真の心の自由を勝ち得てきた証が数多く陽明学の中にあると感じているからなのです。

現代ではフェイスブック、LineなどのSNS(ソーシャルネットワークシステム)などネット社会が発達して、人の意識は外へ、外へ向かっています。情報に振り回され、情報の多さに自分で情報を選択することすら困難な状況です。その情報の渦は便利さというものの反動で、多くの弊害を生み出しています。つまり、「自分自身を見失う」人々が増えてきているのです。選挙の投票活動を見ていても、自分の考えはなくて流れに流されて投票している傾向が強くなり、ポピュリズムによる衆愚政治の様相を呈しています。フェイスブックに「いいね!」が付かないと疎外感を強くしてより外に向かう。それを繰り返していると、いつの間にか自分の中が空虚になってしまい、振り回されるという悪循環に陥ります。現代とは違い、江戸時代における江戸城下の町衆たちの考え方は「人は十人十色、違っていて当たり前」で、100人いたら100人の江戸があると、多様な社会のあり方が本来の日本人の良さでした。それが、明治維新後に西洋化が急速に進み画一化が進み、戦後さらにその傾向が強まったようです。

 また、資本主義の限界、悪弊も見えてきました。文明を追求する資本主義では、次第に人間が不在、不要になってくるからです。現代の社会を見ると、機械化、IT化が進んで、機会やコンピューターに人が働く場所を奪われているという、本末転倒の状況になりつつあります。

陽明学では、「万物一体の仁」という、自然と人間は一体である一元的な考え方をしています。西洋的な考え方は人間が自然をコントロールすると言った考え方で、人を含めて二元的、対立的な考え方が中心になっています。ですから西洋的な考え方が浸透している現代は物事を対立的に考えてしまいやすく、猛烈な疎外感を覚える時代だとも言えます。本来、人は他人と自分を同じあると感じる心があり、それを「同心一体」と言います。

また陽明学の考え方の中に、「知行合一」という言葉があります。本来ならば、知と行は同じで、どちらが先でもいいという考え方で、その対極にあるのが、西洋の「唯物主義」で、例えば欧米の成功哲学は、何かやろうとする時に、計画してモチベーションを上げていき、実行して失敗を修正して最後はゴールテープを切るという、いわゆる、プランドゥシーです。しかし、陽明学は先に考えるのもよし、先に行動していく中でそこで考えるのもよしと教えています。行動していれば、何か頭に浮かぶものがあるはずだと。それが、昔の日本人の行動・思考パターンでした。皆さんも身近に知行合一を体験し実践されていると思いますが、実は車の運転などもそうなんですね。

知(思い)と行(行動)が一つになっている(知行合一)人は自然な人です。

武道や書道など「道」の達人は実に自然な動きをされます。これこそ「知行合一」をなしている状態だといえます。

四書五経の『中庸』で「天の命これを性といい 性に従うこれを道といい 道を修むる これを教えという」というのがあります。先達の生き方には、必ず道がありました。古典の中には多くの生きた証があります。それがすなわち道なのです。分かりやすく言えば、道を学び、それを自分が実践し習得することで、豊かな心を育成してきました。

もう一つ陽明学の特徴は「老荘」「仏教」「儒教」の考え方が融合されている点です。ですから、陽明学は武士道に通じるものがあり、日本人が歴史を通して様々なものを結び融合してきた「日本人の心」を現代に繋げる役割があるという点です。

 人が豊かな心を育て、個性を花開かせながら、人として生きる道しるべを、陽明学に見い出すことができます。これから、このコーナーでは、心豊かに人生を過ごしてもらえるように、陽明学を分かりやすく解説していきたいと思います。

 

 

 

学生時代に作家故山本七平に師事(山本七平:山本書店店主、文部科学省教育審議会会長、『論語の読み方』『聖書の常識』『徳川家康』など著者多数)に西洋・東洋思想のイロハを学ぶ。その後独自に中国哲学・日本の思想・歴史を研究し、現代の社会において実践、活用する。現在、陽明学を中心に『論語』などの講演会、講座を数多く手がける。

たちばな教育総合研究所・代表